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相撲と結界 - 僕らの歳時記

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相撲と結界

大相撲

あの相撲独特の形式、神事に関係していることに興味が注がれます。

相撲は、原点は、日本書紀に出てきます。

今の形式とはまったく違って、「五穀豊穣」や「年占」のような祈願でした。 「年占」は集団の代表者同士が相撲をとり、勝った側はその勝利を豊穣の予祝と考えました。この年占は、現在でも、愛知県大三島町の大山祇神社などで行われています。石川県の羽咋神社で毎年行われる唐戸山神事相撲や茨城県の鹿島神宮の建御雷神への奉納相撲などでは、長きにわたり神事として伝承さとれてきました。また、奈良時代には朝廷で行われるようになり「相撲節会(すまいのせちえ)」という形に発展していきました。

「相撲節会」は、7月7日に行われ、陰陽師に引率され足踏みしながら入ってきたと記録されています。この足踏みというのは、力足を踏み地中の悪霊を踏み鎮める所作で、邪気を祓うという呪術性のもった儀式です。「相撲節会」は1174年まで約440年も続いたとされ、その間に洗練されて芸術性を兼ね備えた様式となりました。

この時代は、土俵はないのですが、今にも残る様式が現れています。「花道」というと、相撲や舞台などにありますが、これは、この「相撲節会」から生まれました。

「相撲節会」で相撲をとる力士は髪に花をつけて入場したそうです。東方から出てくる力士は「葵」、西から出てきる力士は「瓢(ひさご)」で、呪術の高い花を神の依代として神につけ、相撲をとる天皇のいる場所へ進む、「花をつけて進む道」を「花道」と呼ぶようになったようです。

鎌倉時代〜江戸時代の相撲と結界

鎌倉時代になると相撲は武術として愛好されるようになりました。相撲は、技芸と同じ比重で武闘を磨き、芸術性と武術との混然一体となった独特な格闘技となりました。武家時代には、信長、秀吉など相撲好きの武将が、強い相撲人を召しかかえ、この頃から相撲が職業になったものと考えられています。

室町時代末期になると、寺社や神社などが建立、修理のための資金を得るために「勧進相撲」が始まりました。勧進相撲となると、観客に宗教的満足が得られないと資金が得られにくい。ということから、修験道的要素を取り入れ、結界的要素が取り入れられていきます。

結界を示す「四門」(四本柱)を建てて、足踏みから発展して今でいう「しこ」踏みの儀式を確立、「四股名」(しこな=醜名)も生まれました。四股名(醜名)は、人間が神に向かい合う場でへりくだりを示し、「山」や「川」、「海」がつくのは、日常とは違う別空間を聖域として、神がいる所と考えていたからだそうです。

江戸時代の1648年に、江戸幕府は勧進相撲を禁じましたが、1648年に復活。時は元禄が始まる4年前、消費文化が開花して社会資本の整備が急がれる事となり公的投資を補完する方法として「勧進相撲」が脚光を浴びたこと、また、民衆の娯楽への欲求があってのことです。

勧進相撲が再開されると、以前は観客が相撲をとる力士を丸く取り囲んだ「人方屋」(土俵の前進)から発展し、現在の「土俵」が生まれました。「土俵」が生まれた背景には、力士の地位の向上ではないかと言われています。江戸期、歌舞伎者や相撲取りなどの興行渡世の民は、いやしまれることが多く、朝廷での歴史があっても見世物として扱われたものと考えられます。稲の茎で作る結界の中、聖域でとり行われる格闘技として、力士は聖域に入ることを許された人間として、地位向上を図ったのではないかと内館牧子さん(横綱審議委員)は考えています。

結界には、2種類あって、「建築的結界」と「装置的結界」です。「建築的結界」は万里長城や西欧城壁のような建築構造を持った結界。「装置的結界」は、タブーによって守られた、道具によって進入禁止を示す結界のことです。日本では、この「装置的結界」が発展し、これを守る意思がないと無いものと等しい、心のけじめを物理的に示した結界といえます。身近なところにも、こういった結界ってありますよね。探してみると面白いかも知れませんね。

様々な聖域と儀式

土俵では、あまり知られていませんが、土俵祭といって、「神迎え」「神送り」の神事が行われています。「神迎え」は、大相撲の初日に土俵に神を降ろす儀式、「神送り」は、神々にすべての取り組みを見守ってもらった後、千秋楽後神を送り出す儀式です。

その他にも、様々な聖域を示すものがあります。現在の国技館にある土俵を覆う神明造りの釣天井の屋根、御免札や水引幕、注連縄。力士が土俵上で蹲踞(そんきょ)した後、両手を合わせてすり合わせ、四股を踏む仕草は、野外で相撲をとっていた時代に、雑草を千切りにして両手で揉みつぶすことで身を清めた名残りですし、「塩」も土俵を清めるものです。力士が行う力水、拍手、勝った力士が報奨を手にする際に行う手刀などもそうですね。

横綱というのも、生成発展の神、産霊(むすび)の神のはたらきを表したのが横綱で、五穀豊穣祈念や寺社などの新築の地ならしの際にその綱を腰にまとい力足を踏んだようです。

横綱を帯びる力士は、心身ともに強い力士に与えられる資格なのです。横綱の土俵入りは、地下に棲む邪気を踏みつけ、土を活性化させる儀式であり、露払い、太刀持ちを従えて、地鎮のための陰陽道的7字の呪言を口の中で唱えながら、攻めと守りの型の土俵入りの型を示し力強く足を踏みます。

相撲が国技と呼ばれるようになったのは?

相撲が国技と呼ばれるようになったのは、明治42年(1909年)、両国に常設相撲場が完成し、名前をつける際に、作家の江見水陰が落成記念パンフレットに文章を寄せた中に「相撲は日本の国技なり」という一行がありそれに目をつけた大角力(おおずもう)協会が「国技館」と名づけ、それ以来「相撲は国技」が定着したようです。

余談ですが、両国という地名は、武蔵国と江戸との境に架かる橋「両国橋」の名から来たといわれていますが、あの世とこの世の境という意味もあったということを、どこかで聞いたことがあります。あの世とこの世の境界で、あの世に住む邪気を踏みつけ五穀豊穣を祈念する、両国に国技館があるものなんとなく納得してしまいますね。

相撲の歴史をみていくと、力士の地位向上を図り最後には国技にまでのぼりつめたという、要所要所での生き残りをかけたセールス戦略があったことが伺えます。いずれにしても、相撲は、その歴史から芸術性と武術を兼ね備えた、世界でも珍しい格闘技といえます。

大相撲も、こうした歴史を感じながら観戦すると、愉しみも広がっていくのでしょうね。

参考文献等

  • 「女はなぜ土俵にあがれないのか」内館牧子著 幻冬舎新書

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最終更新時間:2007年11月18日 19時11分37秒

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